瓦礫の中のゴールデンリング

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工藤美代子「真実」についてメモ。その1

・(102ページ)吉野作造が耳にした流言蜚語の大要

朝鮮人は、二百十日から二百二十日迄の間に、帝都を中心として暴動を行ふ計画をして居たが、偶々大震災が起こつたので、其の秩序の混乱に乗じて、予ねての計画を実行したのである。即ち彼等は、東京、横浜、横須賀、鎌倉等の震災地に於て、掠奪、虐殺、放火、強姦、毒物投入等あらゆる兇行を行つて、六連発銃、白刃を以て隊伍堂々各地を荒らしたのである。震災当時の火災が、斯くの如く大きくなつたのも彼等の所為で、隊を組みて震災地を襲ひ、首領が真先になつて家屋に印をつけると、其の手下の者が後から、爆弾を投じ、或は石油にて放火し、又は井戸に毒物を投入して廻つたのである。戒厳令が布かれて兇暴を逞うすることが出来なくなつて、地方に逃げて行つた。そして右の如き暴動、兇行は朝鮮人の男のみには限らず、女も放火し、子供も毒薬入りサイダーを日本人に勧めた」

・(103ページ)これに対し工藤は

「吉野が耳にした伝聞こそが真実なのではないだろうか。/火付け道具を持ち歩き、目印をそれと思う家の塀に付け、材木屋に火を点ける朝鮮人を目撃した証人が厳然としていたことは既に紹介のとおり」

・(38〜39ページ)「既に紹介」の中身

「『太い野郎だ。火つけ道具を持つてやがる。』と誰かゞ云ふ。成程彼の手には五月のお節句にたべる熊笹で三角に長く包んであるちまきの様な恰好のものを持つてゐた。『大方綿に石油を浸した物か何かゞあの中に入つてゐるんでせう。恐ろしい事をするやつがゐるなあ。』」

火付け道具は目撃されていない。手に何か包みを持っているだけである。

「その後に従いて来た私の知つてる少年が、『僕。彼奴の捕まる初めから見てゐたんだよ。彼奴八丁目の材木屋の倒れ掛つてゐる材木の中にもぐり込んで火を点けてゐるところを近所の子供に見付けられたんだ。中々捕まらないのをやつとの事で捕まへたんだよ。』と語つた」

この少年が見たのは朝鮮人らしき男が捕まるところであって、放火の現場は見ていない。この文章の前後にも、放火犯だとして捕えられた別の人物が登場しているが、直接の放火の目撃者は登場しない。

「奥さん達は私に会釈して、『まあ。恐ろしいぢやございませんか。これが放火のしるしなんですと。そんな真似されちやたまらないから、今一生懸命消している所なんですよ。』」

目印を付けている朝鮮人を目撃したわけではなく、目印が放火の印ではないかと心配しているだけ。
少なくとも、工藤の「紹介した」文章(生方敏郎「明治大正見聞史」)には、そんな朝鮮人を目撃した直接の証言は出ていない。つまり、この「紹介」だけでは目撃証言は「厳然」としていないし、そもそも朝鮮人による犯行の目撃ではなく、朝鮮人捕縛の目撃証言でしかない。

・(109ページ)震災の起こった9月1日、東京市内各地で自警団が組織されたところに横浜での「鮮人襲来」、東京への流入という情報が流れてきた…。

「この情報が決して「流言」でも「蜚語」でもない真実であることは既に具体例を示して述べた」

・(27〜29ページ)既に示された「具体例」三つ。

「不逞の鮮人二千は腕を組んで市中を横行し、掠奪を擅にするは元より、婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふてゐる。これに対する官憲の警備は東京市と異り、軍隊の出動もないので行届かざること甚だしく、遂には監獄囚人全部を開放し看守の指揮によりてこれが掃討に当らしめたので大戦闘となり鮮人百余人を斃したが警備隊にも十余人の負傷を生じた模様である」(細田勝一郎大日本石鹸株式会社専務談。9月5日付の地方紙記事)

コメントするべくもないデマである。なお、この記事を収録している「現代史資料6関東大震災朝鮮人虐殺」をみると、工藤の引用で途中(略)となっている部分には、横浜の人口50万のうち48万は全滅という細田の見立てや、海嘯(津波)襲来というもう一つの流言について否定する言葉が綴られている。前者は細田の証言に対する信頼を危うくするし、後者はデマが飛んでいたという正にそのことを印象付けるので、引用しなかったのではないかとも考えられる。

「事務長は『陸上は危険ですから御上陸なさることは出来ない』といふ。何故危険かと問へば『鮮人の暴動です。昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやつて居る。殊に裁判所付近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである。若し疑義あるならば現場を実見した巡査を御紹介しましやう』といふ」(部長判事長岡熊雄の手記。ここでは横浜港のパリー丸船上での9月2日の朝のことを綴っている)

長岡の手記では、実際にその巡査から話を聞いているが、その部分はなぜか引用されていない。これも同じく「現代史資料」をみると

「其巡査のいふには「昨夜来鮮人の噂が市内に喧しく昨夜私が長者町辺を通つた時中村町辺に銃声が聞えました。警官は銃を持つて居ないから暴徒の所為に相違ないのです。噂に拠れば鮮人は爆弾を携帯し各所に放火し石油タンクを爆発させ又井戸に毒を投げ婦女子を辱しむる等の暴行をして居るとのことです。今の処御上陸は危険です」といふ」

という訳で現場を実見したのではなく、銃声を聞いたのと、噂があるということを述べているだけである。
また長岡は、

「其半分以上は伝聞の架空事に相違ない」

朝鮮人暴動や自警の必要について記しているし、東京に帰った際、朝鮮人が侵入したと騒ぎ立てる自警団員の振る舞いを

「全く多数を頼んで面白半分に喧騒して居る」

と冷ややかに見ている。

「品川は三日に横浜方面から三百人位の朝鮮人が押寄せ掠奪したり爆弾を投じたりするので近所の住民は獲物を以て戦ひました。鮮人は鉄砲や日本刀で掛るので危険でした。其中に第三連隊がやつてきて鮮人は大分殺されましたが日本人が鮮人に間違はれて殺されたものが沢山ありました」(9月6日付の地方紙、工藤の引用では明記されていないが「東京電気学校生徒西郷正秀君談」とある)

へー。上の細田の談話もそうなのだが、証言者がどういう状況で「朝鮮人の犯行」を見聞きしたのかという具体性がないため、単に人から聞いた話をそのまま喋っただけであるともとれる。
三つの「具体例」からは、少なくとも「「流言」でも「蜚語」でもない」とまで断言のできるようなものではない。工藤の言う「無数の目撃談」とはこの程度のものなのだろうか?(続く)