瓦礫の中のゴールデンリング

アニメを作ってます。アニメがお仕事です。

ペンネームの意味と理由。

この前放送された作品で絵コンテをしばらくぶりにやってクレジットされたので、ちょっとだけ気にしている人がいるようだ(と気にする自意識過剰)。

絵コンテに使っているペンネームは、名字と名前をひっくり返して、似た響きの名前を持ってきたもの。あと、学生時代に私淑していた、池田浩士さんという京都大学の教員だった学者の名前もヒントになっている。

なぜ絵コンテをわざわざペンネームで描くようにしたのかというと、ひとつは一話で2回クレジットに名前が出てお得だな、と思ったから。富野喜幸さんが「斧谷稔」で絵コンテ描いてたりするのを何かカッコイイな、とか思ってたからでもあるかも。

真面目な理由もあって、前にもブログに書いたことがあるが、30歳を過ぎて演出志望の制作だったころ、プロデューサーに「お前は演出になっても処理屋ぐらいにしかなれないだろう」と言われたことがきっかけにはなっている。

絵コンテこそが演出の真髄なのだ、という主張を否定はしないが、実際の演出作業である「処理」を一段低く見るということに、しかも制作の頭領であるプロデューサーの言葉であることに反感を覚えた。絵コンテと処理を分けて発注するのは発注する側、つまり制作の都合であり、そういう仕事を欲しているのは制作なのだ。「処理屋」とはまたバカにした言い草ではないか。

そういうわけで、演出、絵コンテをそれぞれ独立した工程、仕事であり、評価されるべきものと考えて、あえて別々の名前にしてありますよ。