瓦礫の中のゴールデンリング

アニメを作ってます。アニメがお仕事です。

もやもやしてたことをまとめました。

6月21日に一応全国公開されるという山本寛監督の「薄暮」ですが、僕はこの映画がその日までに完成することはないだろうと思っています。

5月24日にいわき市で開かれた最初の試写会では、14分ほどの映像が流され、翌日の東京での試写では50分全尺の映像が流されたそうですが、それは絵コンテ撮を含む白身(線撮り)が大半のフィルムだということです。試写、というにはあまりに遠い。

いわきから東京の1日で14分から50分に飛躍的に進化した、という訳ではなく、恐らくはいわき用のフィルムを作ったということでしょう。白身混じりの状態で舞台にした地元で上映することをためらったのだと思います。

アニメの編集というのは50分なら50分の尺に絵が完成してない状態でも編集してしまうのが普通です。それは先ず音響作業、アフレコに対応しないといけないからです。ジブリ作品なんかだと部分的に編集してその都度アフレコしていくということもあるようですが、この作品にはそんな余裕はないでしょう。音響というのはアニメ業界とは言っても僕らからすれば別の業界なので、「完成してない絵だけどすみません」と渡して声優さんのスケジュールも押さえられてるので…ということになるわけです。

最初の編集から大きく編集内容を変えるということは通常できません。これも音響との関係があります。アフレコの次にはダビングという工程がある。効果音、音楽、アフレコで録音した声をミックスするという作業です。絵が不完全な場合、できるだけ完成形に近い絵に差し替えるという編集の作業を経て、音響さんに渡すんですけど、そこがほぼ音のタイミングをいじられる最後です。ダビングが終わってしまうと、絵が完成した時に「音がずれている」なんてことになっても音響作業は終わっているので絵の方を音に合わせて修正するしかなくなるのです。

東京での試写会で「声、音楽、SEはほぼ完全だったから」完成したものに期待しているという人もいるようですが、完全なのは当たり前なんです。音響は完パケしていて、それ以上どうにかすることはできない。特に監督が音響監督も兼ねているようだから、そんなことは承知だろうが。

普通にテレビアニメの現場でも、ダビング終了しても画面が大半完成していないということはよくあります。ただ、最初の編集では絵コンテのコマを撮影したものだったとしても、ダビング前の差し替えでは最低限ラフ原画になっていないとその後の工程も厳しい。それでも何とかするわけですが。

ところが劇場作品を限定とはいえ公開する「試写」という段階に至って、聞き及ぶ内容がそのようなものだというのでは、これが期日通りに完成するとは到底思えない。半分以上「色のついてないカット」をつなげたものを上映することを「試写」とは言わないでしょう。

テレビの仕事でも数日前まで白身だらけだったものがオンエアされている怪奇現象がないわけじゃないのですが、制作がそういう魔法を使うには経験と体力が必要で、何より「試写」という段階で間に合わせられないのだから、結果は推して知るべしだと僕は思いますよ。

「皆が待っていた」山本寛監督の映画が、昨日関係者試写会を迎えられたそうですが、予想通りなのか予想の斜め下なのか、結局14分ほどの編集映像を流しただけで終わったそうです。(全尺50分の予定)

この世界の片隅に」がクラウドファンディングパイロット版を作ってスポンサーを呼び込んだのとは逆に、泥縄的に来月本公開というもう後のないところに追い込まれていて、しかも監督自身は7月末まで作業を続けて終わったら廃業する、とか言ってていや6月21日公開じゃないの?あなたの廃業が映画の完成となんか関係あるの?とも思う訳ですが。

昨日、今日となぜか先々週カッティング(編集)があった某作品の別話数のコンテ撮素材の作成を依頼されて作業。カッティングは明日。演出は頼まれた時点では決まってなかったようで、もしかしたら監督任せになるのか?10年くらい前だと、「担当の演出が作るものだし責任が持てない(自分の担当話数であれば何とでもなるけど)」とこの種の仕事は断っていた。まあそうも言っていられない事情(家計とか)もあり、小遣い稼ぎに時々やっている。

今回は演出がいないという状況で仕方なくですが、担当演出がちゃんといるのに「経験が浅くて作れないので」(まあこれも仕方ない)「他の仕事で忙しいので作れない」(百歩譲って仕方ない)というので話が来たりします。僕は1日か2日しか時間をかけないのでぎりぎりでコンテが上がって時間がないときなどに便利な人だと思われているのかもしれません。

制作の時からずっとコンテ撮が当たり前で編集後に何とかする(見通しが甘くて何とかならない場合も多いです)のが当たり前の現場が多かったので、最低限こうしておけば大丈夫だろうという経験則でやるわけですが、「色付き」(完成したカット)でのカッティングは苦手です。カットが完成しているということは、それなりに時間も手間もかかっているのですが、時間がかかると人間は自分が前に作業した内容をどんどん忘れていく。カットの間の辻褄が合わなくなったり、カット間の繋ぎの自由度も落ちる。アフレコやダビングで制作の進んでいくものと合わせて様子を見ながらの方が僕は作りやすいんです。

例えば今、ハリウッドの映画など、特に3Ⅾの派手なアクションなどがあるもの(「シン・ゴジラ」や「君の名は。」でも採用されている)で使われているプリヴィズの手法は日本のテレビアニメの編集方法に近いものかもしれません。あらかじめ映像コンテを完成させたうえでカットを差し替えてゆくというものですが、テレビアニメには「定尺」(放送時間とCMの時間がフォーマットとして決まっているので、編集時に全体の尺を決め込まなければならない)というものがあって、一度決めたものをいじることが少し難しい(フィルムの時代にそれやったら叱られる案件ですがデジタル時代には割と柔軟になりました)というのがだいぶ違うところです。

5月16日は、1日中アフレコ。朝11時に始まった一本目は2時に終了。その後移動して4時半からのもう一本のアフレコは夜10時過ぎまでかかり、監督も音響スタッフも声優さんも、演出としてただ立ち会ってただけではあるが僕も終わったときにはかなり疲弊状態でした。というか、終わりませんでした。一部来週まで持ち越し。ちょっと特殊な作品なので仕方ないか。

おーい。

昨日(5月8日)は、昼1時から阿佐ヶ谷でカッティング(編集)、夕方5時から三鷹でカッティング、という阿保みたいなダブルブッキング状態で仕事でした。両方ともコンテ撮素材を1日で作らざるを得ないという急な仕事で、日程をちゃんと確認してなかったらそんなことになりまして。しかも来週のアフレコも日が被ってる(時間はずれてる)ので、1日中立ち合いをやってるということになるようです。

今日はそのうちの一本の演出打ち合わせ。カッティング後に打ち合わせは本来ないですが、珍しくはないです。監督は大ベテランで、一緒に仕事するのは10年以上ぶりでしょうか。打ち合わせしててときどき飛び交う年寄りのネタに全くついて来れない20代の制作進行のきょとんとした風が可愛かったです。「イデオンみたいですねえー」「うん、みんなそういうんだよね」「知ってる?イデオン」「いえ、知らないっす」「40年近く前のアニメだからなー」って、我々はいつの間にか老人です。

仕事を。

最近仕事が少なくて困っていたのですが、3月から始まったやたらと長丁場の、1本終わるのに半年かかるみたいな仕事でフーフー言ってたところに、大急ぎの仕事が2本立て続けに入ってきて、昨日は三鷹で1本分のコンテ撮用タイムシートを作り、今日はまた別の会社に行ってコンテ撮の準備を一日で終える予定…。「いいように使われている」と言えなくもないのだけど、もともと演出になるときに「便利な人」になりたかったんだよな。制作の時に演出の仕事を見てて、もっと効率的にできるんじゃないか、とか思っていたので。

演出始めて17年、その時感じていたことがどうだったのかというと、半分は正しかったが、半分は間違っていたと思います。人間はそんなに便利になれないし、都合に合わせて便利にできることがいいことばかりでもないということです。身体の健康やメンタル、経済状態、仕事上の人間関係を保っていくこと自体が難しくて、その上能力的な研鑽や向上を仕事を通じてしなくてはいけない。結構なムリゲーだなと。

最近一部で話題の6月に1年以上遅れた劇場アニメを公開するという監督の行いを見ていて、自分に似たような人だな、とも思う訳です。特に絵が描けるわけでも決定的な演出能力があるわけでもなく、失敗の経験もあるしそれなりに業界歴が長くて食うことに危機感を抱いている。あちらが少し年下だが、同じような年代で、違うところと言えば僕は監督をやったことがないしこれからもないだろうから演出の仕事をどうつないでいくのかというところで仕事のことを考えるということでしょうか。「作家」じゃないのでねえ。

木村圭市郎さんが亡くなったと聞いて。
演出になりたての頃、60代半ばの木村さんに出会った。僕には大して思い入れがないというかよく知らないアニメーターだったが、「タイガーマスク」のオープニングを描いた人だと聞いて、あああれを作った人か、と。木村さんはよく、金田伊功の師匠のように言われるし、本人もそう思ってたかもしれないけど、金田さんの方が絶対に上手かったと思う。木村さんの作ったタイムシートは得意であるというアクションシーンでも動画の中枚数が多すぎてそのままでは緩い動きになったり逆にせわしくなったり、そして日常芝居を描けない人だな、と感じた。金田さんが日常芝居をどの程度できたかは別として、活動期間の全般でシャープな動きを作ってたし、自分で監督した作品でもそこは変わらない。だから木村さんには演出的な素養はなかったと思う。
竹熊健太郎さんのインタビューで「俺は東映タイガーマスクをやってた時、演出の描いたコンテを全部変えて描いた」という話が出ていて、それは伊達直人が電話で話しているシーンが電話で話している横顔をとらえているのが延々と続くのがつまらないので独自にモンタージュをやったのだ、というようなものと記憶しているが、「絵作りがつまらない」だけでは演出はできないのだな、と本人の口からその話を聞いた時も思った。要するに描くだけ描いて「どうだ」と出したら終わりという仕事の仕方だった。晩年(今世紀に入ってから)になってタイガーマスク的な作品を作るのだ、と演出的なことに進出すると、デジタル作業が当たり前になり始めたころで編集に立ち会うと自分が思ったタイミングになってない(もともとのタイムシートがそうだからだけど)とそこで編集にいじってもらって何とかしてたようだけど、演出は面倒くさいことに立ち会っていろいろな責任を引き受けなければならない仕事という理解はなかったように思う。
木村さんの作画に影響を受けた人は一杯いるだろうし、悪口として書いてる訳ではない。人間として面白い人だったし、嫌いでもなかった。むしろもっと木村圭市郎という規格外のアニメーターについてちゃんと評価がされるべきと思う。