瓦礫の中のゴールデンリング

アニメを作ってます。アニメがお仕事です。

「皆が待っていた」山本寛監督の映画が、昨日関係者試写会を迎えられたそうですが、予想通りなのか予想の斜め下なのか、結局14分ほどの編集映像を流しただけで終わったそうです。(全尺50分の予定)

この世界の片隅に」がクラウドファンディングパイロット版を作ってスポンサーを呼び込んだのとは逆に、泥縄的に来月本公開というもう後のないところに追い込まれていて、しかも監督自身は7月末まで作業を続けて終わったら廃業する、とか言ってていや6月21日公開じゃないの?あなたの廃業が映画の完成となんか関係あるの?とも思う訳ですが。

昨日、今日となぜか先々週カッティング(編集)があった某作品の別話数のコンテ撮素材の作成を依頼されて作業。カッティングは明日。演出は頼まれた時点では決まってなかったようで、もしかしたら監督任せになるのか?10年くらい前だと、「担当の演出が作るものだし責任が持てない(自分の担当話数であれば何とでもなるけど)」とこの種の仕事は断っていた。まあそうも言っていられない事情(家計とか)もあり、小遣い稼ぎに時々やっている。

今回は演出がいないという状況で仕方なくですが、担当演出がちゃんといるのに「経験が浅くて作れないので」(まあこれも仕方ない)「他の仕事で忙しいので作れない」(百歩譲って仕方ない)というので話が来たりします。僕は1日か2日しか時間をかけないのでぎりぎりでコンテが上がって時間がないときなどに便利な人だと思われているのかもしれません。

制作の時からずっとコンテ撮が当たり前で編集後に何とかする(見通しが甘くて何とかならない場合も多いです)のが当たり前の現場が多かったので、最低限こうしておけば大丈夫だろうという経験則でやるわけですが、「色付き」(完成したカット)でのカッティングは苦手です。カットが完成しているということは、それなりに時間も手間もかかっているのですが、時間がかかると人間は自分が前に作業した内容をどんどん忘れていく。カットの間の辻褄が合わなくなったり、カット間の繋ぎの自由度も落ちる。アフレコやダビングで制作の進んでいくものと合わせて様子を見ながらの方が僕は作りやすいんです。

例えば今、ハリウッドの映画など、特に3Ⅾの派手なアクションなどがあるもの(「シン・ゴジラ」や「君の名は。」でも採用されている)で使われているプリヴィズの手法は日本のテレビアニメの編集方法に近いものかもしれません。あらかじめ映像コンテを完成させたうえでカットを差し替えてゆくというものですが、テレビアニメには「定尺」(放送時間とCMの時間がフォーマットとして決まっているので、編集時に全体の尺を決め込まなければならない)というものがあって、一度決めたものをいじることが少し難しい(フィルムの時代にそれやったら叱られる案件ですがデジタル時代には割と柔軟になりました)というのがだいぶ違うところです。

5月16日は、1日中アフレコ。朝11時に始まった一本目は2時に終了。その後移動して4時半からのもう一本のアフレコは夜10時過ぎまでかかり、監督も音響スタッフも声優さんも、演出としてただ立ち会ってただけではあるが僕も終わったときにはかなり疲弊状態でした。というか、終わりませんでした。一部来週まで持ち越し。ちょっと特殊な作品なので仕方ないか。

おーい。

昨日(5月8日)は、昼1時から阿佐ヶ谷でカッティング(編集)、夕方5時から三鷹でカッティング、という阿保みたいなダブルブッキング状態で仕事でした。両方ともコンテ撮素材を1日で作らざるを得ないという急な仕事で、日程をちゃんと確認してなかったらそんなことになりまして。しかも来週のアフレコも日が被ってる(時間はずれてる)ので、1日中立ち合いをやってるということになるようです。

今日はそのうちの一本の演出打ち合わせ。カッティング後に打ち合わせは本来ないですが、珍しくはないです。監督は大ベテランで、一緒に仕事するのは10年以上ぶりでしょうか。打ち合わせしててときどき飛び交う年寄りのネタに全くついて来れない20代の制作進行のきょとんとした風が可愛かったです。「イデオンみたいですねえー」「うん、みんなそういうんだよね」「知ってる?イデオン」「いえ、知らないっす」「40年近く前のアニメだからなー」って、我々はいつの間にか老人です。

仕事を。

最近仕事が少なくて困っていたのですが、3月から始まったやたらと長丁場の、1本終わるのに半年かかるみたいな仕事でフーフー言ってたところに、大急ぎの仕事が2本立て続けに入ってきて、昨日は三鷹で1本分のコンテ撮用タイムシートを作り、今日はまた別の会社に行ってコンテ撮の準備を一日で終える予定…。「いいように使われている」と言えなくもないのだけど、もともと演出になるときに「便利な人」になりたかったんだよな。制作の時に演出の仕事を見てて、もっと効率的にできるんじゃないか、とか思っていたので。

演出始めて17年、その時感じていたことがどうだったのかというと、半分は正しかったが、半分は間違っていたと思います。人間はそんなに便利になれないし、都合に合わせて便利にできることがいいことばかりでもないということです。身体の健康やメンタル、経済状態、仕事上の人間関係を保っていくこと自体が難しくて、その上能力的な研鑽や向上を仕事を通じてしなくてはいけない。結構なムリゲーだなと。

最近一部で話題の6月に1年以上遅れた劇場アニメを公開するという監督の行いを見ていて、自分に似たような人だな、とも思う訳です。特に絵が描けるわけでも決定的な演出能力があるわけでもなく、失敗の経験もあるしそれなりに業界歴が長くて食うことに危機感を抱いている。あちらが少し年下だが、同じような年代で、違うところと言えば僕は監督をやったことがないしこれからもないだろうから演出の仕事をどうつないでいくのかというところで仕事のことを考えるということでしょうか。「作家」じゃないのでねえ。

木村圭市郎さんが亡くなったと聞いて。
演出になりたての頃、60代半ばの木村さんに出会った。僕には大して思い入れがないというかよく知らないアニメーターだったが、「タイガーマスク」のオープニングを描いた人だと聞いて、あああれを作った人か、と。木村さんはよく、金田伊功の師匠のように言われるし、本人もそう思ってたかもしれないけど、金田さんの方が絶対に上手かったと思う。木村さんの作ったタイムシートは得意であるというアクションシーンでも動画の中枚数が多すぎてそのままでは緩い動きになったり逆にせわしくなったり、そして日常芝居を描けない人だな、と感じた。金田さんが日常芝居をどの程度できたかは別として、活動期間の全般でシャープな動きを作ってたし、自分で監督した作品でもそこは変わらない。だから木村さんには演出的な素養はなかったと思う。
竹熊健太郎さんのインタビューで「俺は東映タイガーマスクをやってた時、演出の描いたコンテを全部変えて描いた」という話が出ていて、それは伊達直人が電話で話しているシーンが電話で話している横顔をとらえているのが延々と続くのがつまらないので独自にモンタージュをやったのだ、というようなものと記憶しているが、「絵作りがつまらない」だけでは演出はできないのだな、と本人の口からその話を聞いた時も思った。要するに描くだけ描いて「どうだ」と出したら終わりという仕事の仕方だった。晩年(今世紀に入ってから)になってタイガーマスク的な作品を作るのだ、と演出的なことに進出すると、デジタル作業が当たり前になり始めたころで編集に立ち会うと自分が思ったタイミングになってない(もともとのタイムシートがそうだからだけど)とそこで編集にいじってもらって何とかしてたようだけど、演出は面倒くさいことに立ち会っていろいろな責任を引き受けなければならない仕事という理解はなかったように思う。
木村さんの作画に影響を受けた人は一杯いるだろうし、悪口として書いてる訳ではない。人間として面白い人だったし、嫌いでもなかった。むしろもっと木村圭市郎という規格外のアニメーターについてちゃんと評価がされるべきと思う。

WUGについて。

思うんですけどね、WUGの最初の映画って所属タレントがいなくなったグリーンリーヴスの事務所で松田が慌てていて、社長がアイドル捜して来いで始まっててそれはそれでなんだけど。
映画の冒頭で夕暮れの公園で歌を口ずさみながらブランコをしている真夢、それを呆然と見ている松田、みたいな始まりであれば時間も稼げるし、7人いる主役たちも見せ場を作れたと思う。
あの映画で個性発揮したのは夏夜が初ライブ時にスーパーの裏という営業に怯まずにバイト経験から荷物を片付け始めたぐらいで、民謡をやってたとかメイド喫茶のアイドルだとか歌劇団受験だのほぼ台詞でしかでしか出てこない。
1時間ある映画で、初ライブ(真夢は参加してない)の実際の映像は割愛されてて、見せ場が最後のクリスマスライブなんだけど、例えば東京から都落ちしてきたアイドルである真夢をゴシップの対象としてしかとらえなかったクラスメイトや、普段の付き合いのある人たちがライブに来てくれるとかいう過程もなく、あろうことかコスチュームがなくて制服でダンスするしかなくなり、唐突に「見セパン買ってこようか」と松田が言い出すとか。12月の仙台で踊るのにないでしょ。松田に言われるより先に本人たちがスパッツでも履くでしょう。
こういう映画って、アイドルを舐めてると思う。