瓦礫の中のゴールデンリング

アニメを作ってます。アニメがお仕事です。

えらく仕事が詰まってきて、珍しいことに最近何件か「できません」「無理」と来た依頼を断っています。いやホントに無理だからですが。演出として仕事始めてからあまりなかった事態です。抱えてる仕事も結構無理してますが。カッティング(編集)前日の朝に「演出が「もうやりたくない」と降りてしまったのでできませんか?」という制作からの電話に「即答はできないけど」と言いつつその日の夜から翌日の朝にかけて40カットばかりのコンテ撮素材と120カットぐらいのレイアウトラフ原画を仮チェックで撮影に出してカッティングに立ち会った僕、凄い偉いと思います。誰もほめてくれないけど。1600秒オーバーの絵コンテ(コンテ時点で5分以上の尺長)のコンテ撮素材(370カット)を1日で作って翌々日7時間以上のカッティングに立ち会うとかもの凄く偉いと思う。誰もほめてくれませんが。

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13151499.html
おいおい。スケジュールを設定しない作品は完成しないよ。
逆恨みをいつまで言ってるもんじゃないよ。
スケジュール管理は制作の仕事であって、実際にスケジュール通りに上がらないということは多いけれど、作ってる人たちがスケジュールなんて設定しなくてもいい、なんて言い出したらお終いだ。製作中の映画の完成、納品の時期は決めてないが、来春公開予定だという。どこの会社が配給してくれるんだそれ。
スケジュールをちゃんと設定しないで製作するのがお金の使い方を効率化するなんて、どうして思えるのか。アニメを作るという「仕事」に日々金は出てゆく。個人事業主であるアニメーターや、協力してくれる会社は成果物への報酬で単価で幾らという払いだから日数は関係ない(仕事に使う時間が長くなればそれぞれ損をするし、モチベーションも下がるだろうけど)。が、スタジオを維持すること自体にお金はかかる。予算を豊富に出してくれる金主がいるならともかく、お金は湧いて出てこないので、スケジュールを作らなくていいなんて制作体制では行き詰まるに決まってる。時間がかかればかかるほどお金は出てゆくし、そんなルーズな感覚でクラウドファンディングで得た金を効率的に使うのだ、というのは全く矛盾している。
そして恐らく「「スケジュール至上主義」の崩壊」が来月には見られるというのは、自分が「奪われた」作品(企画立案したのだから本人からはそう見えるだろう)の続編が放送されるということだろう。
一言言えば、「スケジュール至上主義」などというものは、アニメ業界にもほかの業界にも存在しない。納期のある仕事にはスケジュールが設定されていて、それで納品を予定通りにできないとなれば、お金の問題が発生する。テレビアニメで放送できませんでした(落ちる、というやつ)、となれば制作費の2倍の違約金をスタジオがテレビ局に対して背負うことになる。小規模な会社はそれで潰れるぐらい。深夜枠だとスポンサーが買い取っていることが多いので、落ちて即倒産ということはないにしても、問題にはなる。スケジュールは守って当たり前で、スケジュール表通りにいかないにしてもなんとか間に合わせるのが製作側のプライドだと思う。それは至上主義ではない。ぎりぎり守らないといけないライン、約束だ。守るべき約束を設定せずにお金を効率的に使うなんてことができるだろうか。

某監督が某制作会社の社長兼制作プロデューサーと思われる人を「ゴミクソプロデューサー」と自分のブログでこき下ろしている。2年前まで自分が経営者だった制作会社を、理不尽な要求を突き付けられ金をジャブジャブ使われた挙句、崩壊させられ、その「旦那」(アニメーターであり演出家)が結託して製作委員会を騙し、最後には作品自体から追い出された、という。人間として良心があるのかと訴えているが。
ちょうど2年前、僕はこの監督の作っていた映画の後編にパート演出としてかかわっていた。制作が始まってしばらくしてから上記のプロデューサーから知人を通じて連絡があり、依頼された仕事だったが、その時点で監督をチェックから引き剥がさないと作品の完成が危ぶまれるという状況になっていて、何百カットも監督の手元には「僕が全部自分でチェックします」とレイアウトが溜め込まれていた。小規模公開の映画とはいえ、劇場でブルーレイを売るということもあり、納品は早めに設定されていた。
プロデューサーが好き勝手にジャブジャブ金を使ったと監督氏は書いているが、元々お金の管理にはすごく厳しい人で、多くの仕事で赤字を出さない人だ。また、カット数を減らせという要求をされたとのことだが、制作期間と予算の問題だろうから、金をジャブジャブ使うというのとは矛盾する。カット数が減れば手間が減り、使う金も減る。尤も、演出のパートを分けたのでその分演出料は支出が増えただろうが、それでも全体の予算から見れば、大した額じゃないはずだ。「旦那」氏は、社内作画のアドバイスなどをやっていたと思うが、その時の映画には直接クレジットもないし、製作委員会に関わったわけでもない。妻であるプロデューサーの相談には乗っていたと思うが、結託して騙す、というレベルの話ではない。
「ゴミクソプロデューサー」の手腕がなければ公開に間に合ったかも怪しかったのに、ものすごい被害者意識にびっくりさせられる。
演出や監督というのは、いろいろな部署に打ち合わせで指示を出し、それをその通りになっているかを全カットチェックするという責任の範囲も広いし、手抜きや粗い仕事、遅滞があれば信用を失くす。だからこそ適切なスピードと丁寧さが必要な信用商売で、失敗(自体はよくあることだとして)した時にそこを反省して更新できない人は「裸の王様」となってしまう。演出に対する批判(悪口というような意味ではない)は制作(プロデューサー)が担うものだし、それを「ゴミクソ」と罵るより先にすることがあると思う。

論理と感性について。

いくつかの仕事が山場を迎え、夏の暑さの中ぐったりしながら続けています。継続は力なり、という諺?がありますが、続けることが即力になるという意味ではなくて、続けることで最適解を見つけ出してゆく、それが力になるという意味だと思っています。最適解を見つけ出すというのはいろいろ取捨選択して何が有効で何が無駄なのかということを試しながら探ってゆくことで、必ずしもそこに到達しないかもしれない。そこで失敗したにしてもではどうすればよかったのかを考えるなら、次はもっと上手くなるんだと思えるなら、失敗も糧になるだろうと、職業的にはいろんな失敗を重ねている僕にも思える。既に年数としては多分「中堅」と呼ばれるくらいの期間仕事をしてきたけれども、見る人が見れば弱点や欠点というのはすぐに見えてしまう。それを直接でなくても突き付けられる機会はやはり必要で、特に歳を食ってきたからこそと思う。
演出というのは直感でやるものではなくて、論理を組み立てながら進めていくものです。どんな複雑に見える仕事でも単純作業を組み合わせながら進んでゆくことに変わりはない。演出というのも論理の積み重ねで成り立っていて、選択の末に最後にどちらを選んでもいいがどっちを選ぶかというときに初めて感性の出番が来る。逆に言うと、直感を論理によって分解し再構築し、最後に残ったものに自分の感性を使う。感性を持たない人間は存在しないし、誰もが持つものなので、重要なのはその手前の論理だと思っている。で、その自分の論理の作り方が最近甘いと感じるようになった。手癖で仕事してるような感じ。仕事を続けるには、論理を更新してゆかなくちゃいけないと。

口と手と。

仕事は口を動かすことと手を動かすことに大きく分かれている。
口を動かすのは打ち合わせで、手を動かすのはチェック。仕事としてどっちが楽しいかというと、1秒たりとも働きたくないという本音は置いといて、どっちも楽しいです。曲りなりにも15年、演出を続けられているのはこの仕事であればどこかに楽しさを見出せる、ということだろうと思ってます。不思議なもので、人間は仕事したくない、寝てたい、酒飲みたいとか思ってても実際に仕事するとこの仕事のここは面白いとかいうのが出てきて、自分で自分に暗示をかけるというか、詰まんねえ作業だなと思いつつパン屋の工場で深夜労働してても印刷会社で紙の送りやっててもハイになってゆく。演出の仕事も同じで、もともとアニメを作るのが好きでやっているのが上乗せされて、「この作品面白くない」と思っててもどっか楽しめる部分を探して適応しちゃうのですね。なんとか逃げずに仕事ができる。
で、口と手の作業が分かれていることも重要なんだと思ってます。言葉として発してゆくこと中心の打ち合わせと、絵や字を書いてゆくチェックと両方あるから退屈しないし、何とかなってる気がする。