瓦礫の中のゴールデンリング

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久しぶりに書いてみる。

ずいぶん久しぶりにブログに手を出してみる。3年ぶりか。
この間何をやっていたかと言えばボーっとしつつその時々依頼が来た仕事をしていたにすぎないのだが、2008年頃から目に見えて我らが業界の仕事が少なくなり、一昨年はほぼ業界の仕事はせずにバイトしてたりしたりする。今年の春からまた普通に仕事を始めたが、やっぱりテレビシリーズの仕事はいい。この間、表に出ない仕事も何本かあったけれど、パチンコやらゲームの仕事でカッティング(編集)がないというものもあって、非常にストレスがたまった。演出にとって一番面白くて重要なプロセスはカッティングなのに、それ抜きの仕事はつまらないうえに意味もあまり感じない。だからカッティングのある仕事にほっとしている。先のことはわからないが。
昨年夏に一応の師匠であるHさんが亡くなった。僕は年末まで知らなかったのだが、前から腎臓が悪く、血圧が平気で200を超える状態だった時期もあり、常に危ない感じではあった。まだ50代だった。
この師匠から教わったことはあまり多くない。制作進行と監督あるいは演出家という関係だったころは、よく怒られた。実は手も出された。演出をやりたいということを告げると「これこれこういう状況でドラマを作って絵コンテを描け」と言われ、30近くのなんも知らない僕の描いた絵コンテを「今までいろんな奴にこの課題を出したけど、箸にも棒にも引っ掛からないということもないが特別によくもない」といろいろ細かく指摘をされた。実は「イマジナリー・ライン」(という言葉は直接使わなかったが)についてこのとき教わったぐらい(それほど僕は素人だった)で、技術について教わったことはほぼこれだけ。あとは独学とその時その時の監督なりに教えていただいたことだ。
Hさんが僕に教えたことで一番役に立ったのは「(演出になることを)諦めるな。諦めたらそこで終わりだ」という安西先生のような言葉だった。30歳になるというところで「使えない」わけではないがすごく優秀というわけでもない制作だった僕が「演出になりたい」というのは周囲から見れば、滑稽に見えたかもしれない。でもまあ往生際悪くて結局諦めなかったから31の時に演出の仕事を始めて紆余曲折あって11年ほど経った。
僕が演出になった頃が、制作から演出へというコースが終わりかけていた時期かもしれない。アニメ業界で今、制作から演出になる人はほとんどいない。演出志望の制作というのもあまり見ない。制作進行をずっと続けるという選択もあるかもしれないが、大抵はデスクやら何やらに「昇格」し(ライン)プロデューサーという制作としての「上がり」を目指すか、演出方面に行くかのどっちかというのが(その前に辞めてしまう人の方が多い)昔ながらの大まかな制作のコースだけど、今はほとんど作画からしか演出になれないという雰囲気。制作プロセスを全部みてるはずの進行には演出を務めるだけの蓄積もあるはずだと思うけれども。